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大変ご無沙汰しました [その他]

Facebookにかまけて、すっかりブログから離れてました。申し訳ありません。
新緑の季節です。県議会では県内調査の時期でもあります。
私なら商労文教委員会なので、商工や観光、教育の県の施設や出先機関を訪問し、
現状課題の聴取を行います。
または施策の関連する箇所。今回は南相馬市小高区の仮設復興商店街を訪問し、その効果や現状を視察しています。
6月議会は6月19日からですが、それまでの勉強会なども増えてきます。(来週は3日ほど泊まりです)

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 [その他]

昨夜の雷はなんだったんでしょうか。
何かの爆発か、と思わず煙を探してしまいました。
おかげでその後は熟睡できず。

そんな中、先週から朝の辻立ちを再開しています。
震災後7ヶ月ぶりに街角に立ってみると、場所柄か原発関係の他県ナンバーの工事車両がちらほら。
大変な作業ですがいち早い復旧をよろしくお願いします。と思いながら「おはようございます。」

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二本松市が話題になっていますが、いわき市はどうでしょうか。 [その他]

このページを見ている方々ならご存知でしょうが、
http://www.new-fukushima.jp/result.php?kind_detail%5B%5D=%E7%B1%B3&start_year=2011&start_month=7&end_year=2011&end_month=9&search_area=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82&hyoji=all&x=38&y=7
こちらに詳しく載っています。
知り合いと、吸収効率は1%位とされていたが、それよりも低かったかも。
そしてセシウムの土との結びつきがものすごく強いかも。
と話をしました。
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台風襲来 [その他]

天災が多い年ですね。しかも被害が甚大です。
いわきは災害が少ない、と昔から言われ、我々も油断が多かったのかもしれません。
備えが必要ですね。
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除染作業と総理所信 [その他]

ちょっとかけ離れている二つの言葉ですが。
先日、小名浜西小の除染作業をやりました。
高圧洗浄機で小滝山、遊具、校舎を洗浄、校庭の草むしり、放射性物質を含みやすい針葉樹を伐採など、ハードな作業を多くの保護者の皆さんと行いました。
最近、表面は安定してきているのに、空間線量が高い日があるようで、どうも校庭周りの木が悪さをしているのでは、という懸念があります。
山の上の学校なので、今後予算を捻出してちょっとずつ木を伐採していく予定です。
たまたま教育長とご一緒する機会があったので、これらの予算化も要望しました。

さて、総理所信。高文の創作劇の一説を引用されたようですね。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110913/trd11091322170021-n1.htm
「悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれています。」劇中のせりふの後、こう演説されました。
原発被災地、津波被災地、地震被災地、そして目に見えない放射能の数値に一喜一憂する。
そうありたい被災者は多いと思いますが、実際に明日に向かって力強く踏み出している被災者はまだまだ少数派ではないでしょうか。
「政府も立法府もそれぞれの役割を果たすとき」
その気概に期待したいと思いますが、4日間で何をやるのですか?

早急に本格的な会期の設定を望みます。
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新しい総理大臣が決まりましたね [その他]

自民党も同じテーブルに付き、話が出来る総理であると思います。
被災地民として、復興への取り組みを一番に願います。前の方があまりにお粗末でしたので。

そしてもう一つ願うこと。
原発被災地の住民の皆さんに対して、ふるさとへの帰還について、真摯に更に正確な情報発信と現時点での重い重い判断をするべきではないのか。
帰れるのか、帰れないのか、いつになるのか。もう希望的観測はいらないのではないのでしょうか。
除染と一言に言いますが、木を切り、山の表土を削り、田や畑をさらう。その土や草の行方さえ決まっていない。
インフラの再生だけでは帰れない。仕事や地域活動も元に戻す必要がある。
簡単なことでないのは、私たち皆が深く深く認識しています。
だからこそ、政治家(政府)が心をこめて、どのような努力をして、いつ頃なら帰還できるのか、直接被災者に伝えることが必要だと思います。
皆疲れています。噂や不確定な情報はもう要りません。真実を真摯に伝えることを、もう一度お願いしたいです。
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いわき市でも表土除去へ [その他]

参考
http://www.kfb.co.jp/news/index.cgi?n=2011072716

いわき市議会7月臨時会が開催され、学校等の表土除去を含む補正予算案が提出され、賛成多数で可決されたようです。
ここで問題は、これまで必要がないと答弁していたものが、県の2分の1補助が決まったので行うということと、
毎時0.3μSV(マイクロシーベルト)という境界線です。
前段はこれまでもあったことで、「全国に先駆けて」を好まない?いわき市にとってはいつもの通りです。予算の裏づけが欲しいといってしまえば分からないでもないのですが、今回くらいは先駆けて欲しいなと、、
もう一つは、例えば我が西小は越える場所(プールの裏)と越えない場所(校庭中央)があり、それをどう扱うのか。また、0.29の学校においてどのように説明するのか。運用基準が出て来次第、精査したいと思います。
また、基準が国で未だ明確に決まらない土の処分についても注視したいと思います。
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小泉進次郎代議士の視察 [その他]

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お忍びだということでしたので書きませんでしたが、各所で書かれていますのでアップします。
先日、小泉代議士がいわき入りし、各地を視察しました。
横須賀青年会議所所属ということで、いわき青年会議所の受け入れでご案内いたしました。
写真は四倉のとまとランドの様子。トマトが苦手だそうですが、ジュースを飲みながら風評被害の現状を直接聞いていただきました。
この後、小名浜港の被災状況視察、いわきの子供を守るネットワーク会員さんとの意見交換、常磐地区の旅館組合長との意見交換を行い、帰路に。
私からは特に、小名浜港について、今後の火力発電とバルク港の重要性と、子供を取り巻く環境について、放射性土の処分の明確な法制化を急いで欲しい旨を要望しました。

やはり野党という歯がゆさを感じているようで、本日の視察、聴取内容をぶつける!と強く約束しておられました。今後の活動、期待しています!

ちなみに小泉事務所は、私が神奈川に居た時代、大変お世話になっておりました。小泉純一郎元総理の当時の第2秘書さんが、現在進次郎代議士の政策秘書だそうです。大変気さくでお世話になった方です。また、総裁選で小泉選対に入り、時代が動くのを肌で感じたことも思い出しました。

秋にもう一度、自民党いわき総支部会合に出席すべく調整中ということでしたので、期待したいと思います。
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頼むよ! [その他]

110718_1306~01.jpg
小名浜地区をパトロール?中にあるものを発見。
原発の外側を囲う枠。ですよね。ニュースでやってるやつ。
頑張れ!君の働きにかかっているぞ!
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北海道南西沖地震から18年。 [その他]

昨日TVニュースなどで取り上げられておりましたが、北海道南西沖地震から18年が経ちました。
震災直後も少し書きましたが、そのときの思い出などを。

http://ivusa.main.jp/dv6/about/
ここに詳しくありますが、私も国士舘大学2年の時に震災後の奥尻島に入りました。
大学の学食でうだうだしていると、先輩から「おい!新宿行って寝袋かってこい!奥尻島に行くぞ!」との声。
ナベカマ米をリュックに入れ、あれよあれよという間に上野発の夜行列車に飛び乗り、北海道へ。
それまでは何か浮ついた気分でしたが、フェリーが島に近づくと、防波堤の上が地すべりで山ごとそっくり崩れており、その瞬間皆の顔が凍りつきました。

津波がひどかった青苗地区に入るとまさに焼け野原のよう。島に着く前には「俺たちが片付ける!」と言い合っていたのですが、その惨状に茫然自失。すぐにミーティングを開き、「やれることをやる」という方針を決定。
奥尻高校を本拠地に、集まりつつあった支援物資を整理、配布する作業に入りました。

今でこそ支援物資は整理されていますが、その頃はとにかく困っているだろうからと、あらゆる食料を送ってくれる、まさにお母さんの仕送り物資的なものが多かったです。
それらを片っ端から開け、整理し、詰め替え、自衛隊と一緒に届ける毎日でした。

下からドォーンという音が続き、つきあげるような縦揺れ地震が襲う中、真夏なのにオートバイの革ジャンを送ってくる人に皆で怒ったり、自衛隊とのほふく前進対決に勝った仲間に大笑いしたり、かぼちゃの大きさが隣家と違うことを指摘され、涙ぐむ仲間を励ましたり。最終日には天皇皇后両陛下が島に入り、お言葉をいただきました。

子どもだった私にとって、「公」を意識する初めての機会であったと今では思います。

正直これまで、奥尻島の被害は人事と感じていました。しかし、大震災を経験した今なら、あの当時の被災者の方の気持ちが分かるような気がします。そして復興を果たしつつある奥尻島の姿が参考になると思われます。このような歴史を繰り返し、日本人は歩んできたのですね。

あれから18年ですか。あの当時から私も成長は少しはしたのでしょうが、あの時の気持ちの持ち方を思い出さなければいけないですね。
それと帰る日に港へ送ってくれたおじさんに、もう一度きれいになった奥尻の海を見に来ます!と約束したのですが、未だ果たせぬままです。それが残念です。
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